2010/03/10 (水)
2010/03/10 (水)
高知と東京のつながりの学びの場。「すじなし屋」紹介
雨 気温8度 湿度80% AM7:00 M8292
おはようございます。今日は雨です。またまた富士山はみえません。
最近Twitterでブログを上げたことを毎日アップするので、富士山が
ここまで見えないと、「今日の富士山は?」って聞かれそうです。。汗
さて
先日の土曜は、「すじなし屋」という学習コミュニティーに参加して
きました。
高知大学のOB/OGを支援するためのキャリア開発セミナーなのですが、
卒業生だけが参加するのではなく、東京で働いている社会人が集まり
毎回かわるテーマでワイガヤやるものです。
今回は、弁護士の先生をお招きして、裁判員制度やセクハラの問題を
講義してもらったあとに、ワイガヤ意見交換をしたものです。
この高知大学の試みで注目すべきは、「学び合う場」の研究会も併設
されており、果してこの学び合う場はどうなのか?を常に検証・研究
するようになっている点です。
大体前日(今回はセミナー前日の金曜夜)に研究員が集まり、議論します。
今回の議論で中心になったのが、
・何もしない研修のこと
研究員の一人である某大手企業の人事部長が公開してくれた方法です。
幹部がホテルで一週間かんずめになり、「何もしない」
本当に、「何かをしろ」と一切、運営側は言わないそうです。
参加の条件は、「仕事を忘れてくること」
これは何を意図したものでしょうか。
(企業ですからボランティアではありません。もちろん、何かしらの狙いがあります)
これは知の土壌を創り上げることだそうです。その方の言葉を引用します。
-----------引用開始--------------------
(前略)
我々が忘れていたのは「大地」(器)そのものを育てること。
木を「育てる」以上に、木が「育つ」大地を育てること。
しかし現実はそれとは裏腹に、木になった果実や成果を求めることに急。
その結果、大地を荒廃させた。関係をひずませ、すさんだ風土をもたらした。
まさに成果を求めてシシルイルイの不毛地帯を自ら招いた。
それが例え無意識にせよ、その「歴史的無意識」がとんでもない「無縁社会」
をもたらしているならば、我々が今気づくべきは、木を育てる以上に、木が育つ大地を耕し直すこと。
(中略)
ただ「すじなし」でいいのだが、大地を育てる構えがなければならない。
それがなければ大業はなしえず、小さな器は大器にできない。
だから高知には東京が必要であり、また東京にとっても高知が必要となる。
-----------引用終了--------------------
成果を求めすぎ、知の土壌が荒廃してしまったんだ。ということです。
ならばその土壌からもう一回作り直そうということですね。
それが、地域と地域がつながってお互いに気づき合い埋めあう”学習する場”なのである。
ということです。
「すじなし屋」は、高知大学の池田先生が主催しています。知恵組にも正式に
参加されることが決まったのでこれからもっと多くのつながりの場を展開
してくれることと思います。
「すじなし屋」のこれからが期待できますね。楽しみです。
さあ上げますね。
今日も元気に「いってらっしゃーい」